Motoyuki's Resilience Life

レジリエンスを高めるためにIT・介護・人材育成などジャンル問わず考えを綴る佐々木基之のブログ

決断するために必要なことは勇気や覚悟の他に、複数の選択肢を持つことではないでしょうか。

つい先日、朝7時半から3時間ほど後輩とカフェしていたときの話。

自分で決断するという機会が減ってきているんじゃないだろうか

終始このテーマで話していました。

自分で決断することは自分の中に選択肢がどれだけあるかと同義ではないか

決断するという行為は数ある選択肢の中から1つを選定する行為だと思います。

最近思うことは、選択肢がそもそも多くないから決断することができないという状態になっているのではないかということです。

選択肢というは自分の経験から作られることが多いと思います。

例えば、体験したこと、読書を通して自ら学んだこと、旅行に行き現地で感じたこと、など。自ら進んで得た経験からこそ選択肢は作られると思います。

ただ、今の子供世代(園児、小学生)はとても制限された中ででしか経験を積むことができてないのではないかと、最近考えます。

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選択肢を創るというより、選択肢が用意されているのではないか

例えば、何かしようと思っても親による「危ないからダメ」「誰もしてないからダメ」「汚いからダメ」というダメダメの包囲網が張られるのではないでしょうか?

他にも小学生や中学生の頃に進路を決めるにあたり、子供の意思よりも親の「将来のために進学校しかダメ」や「せっかく勉強できるんだから進学校に行くべき」というような期待や思い込みによりある程度の選択肢しか与えられなかったり。

子供にとっての選択肢は、すべて親や周りの大人によって用意されている状態になってるんじゃないかと思うのです。

自分で選択肢を創る機会が圧倒的に少ないのではないかと思うのです。

もっと大人と触れる機会が必要ではないか

子供のころ親から受ける影響は大きいと思いますし、今の世の中、親以外の大人と触れる機会は本当に少なくなっていると思います。

身近な大人が親しかいない場合、その価値観は大きく偏ると思いますし、それは子供の将来を考えると勿体ない気がしてなりません。(僕は親になったことがないので偉そうなことは言えませんが。)というか、本当によくないことだと思います。

 将来何がしたいか?というのは結局、小さい頃からの経験に基づき考えざる得ないと思います。小さい頃に身近な大人が親や学校の先生しかいなければ、自然と自分の将来も彼らに重ねてしまうと思います。これは仕方がないことだと思います。だって知らないことは選択肢にもならないですから。

自分で決断する機会を増やすには、とにかく実体験することが一番かなと思います。

ただ何でも実体験を積むことは難しいと思うので、疑似体験することもひとつだと思います。

そのひとつに大人と触れることがあると思います。

近所のおじいちゃん、おばあちゃんと話すことでおじいちゃん、おばあちゃんが大切にしていることを疑似体験できる。

地元で働く大人に仕事について話をしてもらう。そうすると仕事は経験できなくても、仕事を通して感じることを疑似体験できる。

大人と多く触れれば触れるほど、疑似体験を多く積むことになり、それが将来の自分の選択肢を創ることに繋がるのではないでしょうか。